2010年 プリンセスソフィア 報告 大会最終日 4月2日 スペイン・マヨルカ

小松 一憲
午前中の凪ぎは、高気圧に覆われた日の、お決まりのパターンなのでしょう、シーブリーズが吹き出すのを待って出艇しました。470級女子のメダルレースは13時40分、風向210度、風速3から4メートルのコンディションで開始しました。スタート前のブラジル艇(北京オリンピック銅メダル)との走り合わせで、上り角度に難があると判断し、ジブの引き具合を少し内側にするよう指示しました。変えてから再び走り合わせをして、上り角度に差が無くなったことを確認し、スタートを待ちました。
しかし、このアドバイスが心配した通りの結果を招くことになります。風上マーク回航3位、風下マーク回航5位、風下のゲートのマークでは後続艇と右と左に別れ、近藤・田畑組のみ左を選択しました。これが裏目となって第2風上マークを9位で回航し、最後は順位を上げられずフィニッシュしました。

スタートは、アウトサイドリミットマーク寄りの一番からスピードに乗って出て行き、スタート直前に左に風が振れたこともあり、少し走ってタッキングした時点でトップの位置になりました。しかし、スタート前からコースの右上空に雲があり、スタート後、がまんして右に伸ばして行ったブラジルとフランスが右に振れた風をつかんで1位と2位で最初のマークを回航しました。近藤・田畑組は3位、悪い順位ではありません。風上マークの、回航直後、自分からジャイブをして前を行くブラジルおよびフランスとセパレートしました。この時、風下マークは、スターボードのまま到達しそうな角度だったので、ジャイブは冒険でした。横から見るとコースの中央で後続の艇に追いつかれていました。ジャイブを再び返してスターボードになり、集団のほうに寄せて行ったのですが、後ろに風の壁を作られながら走る形になりました。結果的にジャイブする前に自分の後ろにいた艇にも抜かれ、すっかりリードを無くしてしまいました。さらに追い打ちをかけたのは、風下のゲートマークの回航でした。若干風下になっていたポートサイドのマーク回航を選択したこと、集団とセパレートしたことで挽回のチャンスが無くなりました。レース終了後の第一声は「スピードが無い」と言うことでした。心配した通りでした。私の直前のアドバイスが裏目に出たのです。近藤選手に限らず、レース直前の普段あまりやらないこと、特にスピードや上り角度に関するアドバイスは、ややもするとこのような結果を招くことになります。勝てればいいのですが、負けると走りがいつもと違い、悪かったということになるのです。走りながら変えられる、調整レベルの変化でさえ、選手はこの様な印象を持つことになります。選手の性格にもよりますが、好きなようにさせることも重要でしょう。

このあと行われた、男子470級のメダルレースは、スタート後、女子同様、ポートタックを我慢して、右奥まで伸ばしたスペイン艇がダントツで第1風上マークを回航しました。注目のオーストラリア艇は左サイドを使いました。高さを重視した特異な走りで、スピードにのびやかさを欠き、タッキングの数も目立ち、苦戦していました。フィニッシュは近藤・田畑組と同じ9位、メダルを逃しました。

レースを終え、陸に上がってきてのこと、オーストラリアのコーチ、ビクター・コバレンコ(470級で過去5個の金メダルを選手に取らせ、日本に何度も来ている日本通)が、声をかけて来ました。「小松さん!マルセイユに行ったら二人で日本食を食べに行かないか!」、私は「良いレストランを知ってるの?」、彼、答えて曰く「捜すよ!」、二人で目を見合わせて笑いました。
振り返ると後ろ姿が心なしか寂しそうでした。悔しかったのでしょう。そして色々と思案を巡らしていたのでしょう。彼が私に声をかけてきたのは、ひょっとして私も、肩を落としてるように見えたからなのか?だとしたら、私は「もっと、しゃきっとして、背筋を伸ばし、しっかり前を見て歩かなければならない!」と自分に言い聞かせました。
ヨーロッパでの初戦でした。これから、いろいろ考え、努力して、スピード、ボートハンドリング、レーシングテクニックを向上させていけば良いのです。戦いの火ぶたが切られたこの時点で、肩を落とすようなことなど、あってはならないのです。私も選手も!。

報告を終わります。