チンタオでの合宿を終えて
2008年07月20日 | コーチの声
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7月6日にチンタオ入りした、近藤・鎌田組に続いて、9日に私は、こちらに来ました。7月10日より、15日まで各国のコーチが申し合わせておこなった練習レースへの参加、そして18日までの計9日間、良い練習ができました。
今回は、セーリング連盟が宿泊・交通費等の負担をし、合宿形態にして徹底した衛生と栄養管理の下、日本食レストランでの夕食と昼食のデリバリー、潮汐、潮流を専門に研究する東大グループや気象予報士のサポートもあり、有意義な話を同時に聞くことができました。
練習は、各チームの自主性にゆだねられていましたから、それぞれ思い思いの内容とペースでこの期間を過ごしました。チンタオに集結した各国選手、コーチ、そして日本チームも、おおむね練習の目的を「調整」と位置づけて、「地理に慣れる」、「リサーチ」、「道具の最終選択」などにおいていたように思います。海に出る時間は、「疲れを残さない」との理由からでしょう、数時間で海上練習を終えていました。
しかし、目的は似通っていても私の手法は違います。濃霧と無風で一日半練習ができず、しかたなく休養をとることになりましたが、それ以外の日は、出艇9時半、帰着5時のペースを基本にして練習しました。この期間を「乗り込む」、陸上選手で言えば「走り込む」に相当する練習を選手に課しました。「道具の選択」は先のヨーロッパ遠征でほぼ終えています。あとは世界中のどの選手より、チンタオで「乗り込む」ことにより「チンタオに慣れる」、誰よりも多く設定したマーク(コース)を回ることでチンタオの「潮流に慣れる」、そして同じチューニングの2艇によるマッチレース練習で、自艇の性能を常に100パーセント引き出しながら走る、別の言い方をすれば走りの「精度を高める」ことを目的に練習しました。練習最終日は12mまで吹き上がりましたが、微風(1mから4m)続きの海でした。7時間、あるいは8時間ぐらいの練習で疲れがたまるような鍛え方はしていません。練習レースが始まる前にコースを設定して、3から4レース行いました。練習レースを終えても居残って練習しました。
この乗り込みで、かねてからの課題であった、微風のランニング、他の選手のスピードアップもあって、あまり目立たなくなっていた微風のクローズホールドのスピードにも手ごたえを感じました。また近藤・鎌田両選手はセーリング競技の選手としての感覚をこれまで以上に鋭敏に研ぎ澄ますことができたと思います。これからの3週間は、登山で言えば頂上を目指す最後のアタックです。私が指導を始めてから、国内外の遠征、合宿を通し、休養日も含め、朝7時のウォーキングから始まる日程を貫いてきました。生活のリズムを変えず生活(練習・試合時)のペースを守ることで疲労を溜めずに感覚を鋭敏に保ち続けることができると考えたからです。この後は、五輪と日の丸の付いた制服を着て、マスメディアの人からマイクを向けられ、浮つくことなど無いよう、磨き上げた感覚を「気負い」によって自ら曇らせるようなことの無いよう願っています。
中日球団、落合監督の「俺流」の言い方を拝借して表現すれば、「私流」とでも言うのでしょうか、チームを結成してからここに至るまで、私の指導に付いてきた選手への感謝がまず一つ、何の制約も無く思うようにやらせてくれた西岡社長を筆頭とする会社の皆様、最初の橋渡しをしてくれたジューイ企画・福吉社長、近藤・鎌田両選手の身体能力を高めてくれたトレーナーの田村さん、JISSの藤原さん、ベースとなる練習基地を提供してくれた葉山マリーナ、冬季の強風で最高の練習環境を与えてくれた沖縄県座間味村、近くに目をやれば、両名のご家族の協力と理解、チューニングパートナーに徹した原田・吉田両選手、その他多くの人に支えられ、ここまで来ることができました。
選手の指導、練習計画、遠征計画、それらの全てに自分の経験からアイデアを展開し、オリジナリティーを発揮してやってきました。しかし、「私流」などとは言っても、JOCのコーチ講習会で学んだこと、他の競技の指導者の話からヒントをいただいたこと、日本初の銀メダリスト、重、木下組と指導者の松山氏の活動、銅メダリスト関・轟組、その他、国内外の多くの選手の活動例を自分の経験(自分の経験の大多数は苦い失敗)と合わせて、考え出したにすぎません。そういう点でも、多くの人達に感謝しなくてはなりません。
私は、日本人の「勤勉」であるという特性に賭けてきました。勤勉=精を出して励む=練習に励む、それは、オリンピックに挑戦する限り変わることは無いでしょう。
オリンピックの競技開始が三週間後と迫った今、チンタオでの本格的な練習を切り上げるにあたり、近藤・鎌田組が「よい仕上がり状態にある」ことをご報告します。

